
ただ、それだけではない気がします。
どうにもならない気持ちで飛ばした夜の道。
実家を出て最初に住んだ街を、わくわくしながら巡ったこと。
はじめて自分の足でペダルを漕いだ息子の顔。
保育園の帰り、後ろに乗る娘と一緒に見た夕焼け。
世界がどれだけデジタルになっても、自分の足で漕ぐ。
アナログな乗り物には、だから、人のこころが詰まっていると
私たちは信じてこの連載をはじめました。
あの人と、自転車からはじまる話をします。

森岡さん
「店舗を運営している都合上、急に紙袋が必要になったりとか、紐ですとか、そういうものの買い出しがありますね。近くにヤハタビジネスっていう文房具屋があって、そこへ行くのに、よく使ってます。
資生堂の連載を長く担当させてもらっていたんですけれど、打ち合わせに行くのにも自転車だと非常にちょうどいい距離感でした。銀座1丁目から7丁目まで、対角線上に移動する形になります。その距離を、自転車を漕いで行くのが気持ちよくて」
銀座の片隅で書店を営む森岡督行さん。週にたった1冊の本を、店頭に並べ、人へ届ける。デジタル時代に逆行するような小さな店には、国内だけでなく世界からも人が訪れます。
お店の前、築100年近くのクラシカルな建物と調和するように置かれているのが、トーキョーバイク。5年前から愛用しているといいます。

「元々お店に自転車がなかったんです。あったらいいなっていう風には常々思っていたんですけれど。その当時はす向かいにあったお店で、トーキョーバイクを扱っていたんですね。ある時、これを見かけて、かっこいいなって。これだ、という思いが込み上げてきました。
その時は、シルエットの細さに惹かれたんですね。後から知ったんですが、ギアの変速がないんですよね。シンプルな作りであることが、心動かされた要素でした」
森岡さんは、考えながら話す人です。それになぜ心が動いたのか、それが自分にとってなんであるのか。たとえ自分のことでも、知ったつもりにならず、心の中を表す言葉を丁寧に選ぶ人。
この人がおすすめする本なら、手に取りたい気持ちがわかります。

「山形の寒河江というところで生まれ、高校生の頃は自転車で学校に通っていました。
当時、東京のカルチャーにすごく興味があったんです。雑誌ならポパイとか、チェックメイト。ファインボーイズ、ブルータス。そういう雑誌に非常に憧れていました。
それから、渋カジ。渋谷カジュアルっていう、私の世代にとっては懐かしい、ひとつの潮流がありました。リーバイスの古着のデニムに、ニューバランスのスニーカー、マイケルジョーダンのエアフォースワン。アメリカからの文化に共感して、いろいろ影響を受けていました。
高校生になって自転車を新調するときに、地域の自転車屋さんのカタログに、デニムブランドの『ラングラー』のロゴが入っている自転車を見つけたんですね。
これだ!と。これなら、体が乗るだけじゃなく気持ちも乗って漕げると思いました。大切にしてましたね」
その自転車を実家に残し、大学進学を機に東京へ。東京の街は電車が便利で、毎日のように乗る機会はなくなったと言います。
森岡さん
「一人暮らしで潤沢なお金があるわけでもなかったので、それからはリーズナブルな自転車を使っていましたね。それ自体が特別なモノというよりは、移動手段のような存在でした」
はじめて社会に出て職についたのは、神保町の古本屋。通勤は電車でも、仕事後の夜や平日には、自転車で都内の街に出向くこともありました。
森岡さん
「今はもうないと思うんだけれども、明治記念館の近くの公園に、バスケットボールのリンクがありましたね。そこまで夜に自転車で行って、シュートをしていました」
休日は神保町の古書店街を巡りに。赤坂へ、好きなショートケーキを買いに。台湾から上陸した本屋「誠品書店」を見に日本橋へ。調べ物があるときは永田町の国会図書館や、京橋図書館へ。目的に合わせてあちこちへ、ひらりと自転車に乗り、身軽に都内を漕ぐスタンスは今も変わりません。
森岡さん
「夏に内堀通りを走って、九段下の法務局に定款か何かを取りにいったことがあります。帰りにお堀沿いの道で、向こうから見たことのある人が自転車に乗ってくるなと思ったら、詩人のアーサー・ビナードさんでした。
そのとき、『これぐらい暑い日に東京を移動するのは、自転車がちょうどいいよね』と言われて、私も『そう思います』って。そういう会話をしたのを覚えています」

森岡さん
「ここだけの話、私は地理感覚があるようです。
昨年の12月に仕事でムンバイへ行ったんですが、行きたいカレー屋があり、みんなで地図を開いて場所を調べたんですね。そのとき、ホテルからのルートが、なんとなく私にはすぐに見えたんですよ。地図やスマートフォンを見なくても、すたすたと歩いて行く姿を見て、これは1つの才能だ、Googleマップに匹敵するじゃないかって、知人に言われました。
うちのおばあさんは、まだ94ぐらいで元気なんですけれども、戦争の頃、東京に動員できていまして、東京航空計器っていうところで働いていたんですね。
青山や渋谷、下北沢や井の頭公園、東京の色々な街へ行った話を幼い頃によく聞いていて。小学生だった私はその都度、聞いた場所を地図で確認するっていう作業をしていました。
今となっては、それが私の中に地図をインストールする1つのきっかけになったのではないかと思っています」
街を把握する。その視点でいうと森岡さんにとっての銀座は「インターネットのような街」だと言います。

「ここには明治時代の初めに明かりが灯った歴史があります。その後、時計塔ができたことで時間が分かるようになりました。それから新聞社や図書館ができて情報手段が生まれ、カフェやビアホールができて交流の場ができるように。銀行ができて、決済の機能も加わりました」
あらゆる機能が埋め込まれた街。日本各地に「銀座」と名のつく地名があるのも、それがひとつの集約や便宜を表す象徴だからだと気づいたと言います。
森岡さん
「大きな街へ行くと、その街を代表するような書店が必ずどこかにあります。海外ならパリ、ロンドン、サンフランシスコにソウル、台湾。日本の都市にも、みずみずしい感覚を持った書店がいくつもありますね。
それはスポーツチームにも近いと思うんです。ニューヨークならヤンキース、ロンドンならアーセナル。書店も街の人々の心の拠り所になっている部分があると。
そのことを、これからはもっと意識的に考えた方がいいんじゃないかと思っています」

ひとつの街を支えるように、言葉を伝える森岡書店。森岡さん自身もまた言葉を綴る人です。
森岡さん
「銀座をテーマに書く連載はもう5年以上になります。よくそんなにネタがあるね、と人には言われますが、このテーマに関しては、締切は大変なものの、続けることができています。
バトンを渡すように、街のイメージはつながっていきます。
今、話しながら、なんとなくこうではないかなと思ったんですけど。自転車に乗ったり歩いたり、移動することは、何かに気づいたり、閃いたりするきっかけになっているのかもしれませんね」。
黒い自転車に白いシャツ、黒のリュック。街を走る森岡さんの姿は銀座の景色に溶けて見えます。
森岡さん
「独立してお店を始めたばかりの頃に、ある方から『ギャラリーをやるならば、作品やアーティストよりも目立たない方がいいよ』ってアドバイスをいただいたことがありまして。自分がそういうのが好きだっていうのも合わさって、以来、白いシャツを着る機会が増えました」

自転車に乗る時は何も考えていないと、意外にも森岡さんは言いました。
森岡さん
「何か見ているものはあるんだけれど、それに意味を見出そうとしていない、という感じが近いですね。
自転車は漕いで進む行為。本もめくって進む行為で、どちらも動詞がふたつ重なっていますが、そこにある身体性は、やはりデジタルとは全く違うものです。
デジタル化が加速する現代ですが、その反対の方向もやはり大切で。そういう意味では、両者は近しく必要な、余白と呼ばれる行為なのかもしれません」

「最近、『間(ま)』が大切なのではないかなと思っています。間がいいとか、間が悪いとか言いますが、それは自分と何かの接点のような概念だと捉えています。
例えば人と出会い、言葉を交わすことが、数年後に何かの仕事や展覧会に繋がることがあります。そうした接点が多いと、おそらく未来に対しても何かが繋がっていくのだろうなと考えるんです。
自転車に乗るときも、周囲との接点がありますよね。
例えば私は地球との接点を感じます。体幹を使って漕ぐときに、地軸を感じるような感覚があるんです。
地軸の先には何があるんでしょうか。まっすぐ、下に重力が続いていくわけで、多分、地球の核にいくと思うんですよ。その直線上、すなわち地球の真裏にはいったいどんなものが待っているのか、気になります」

世界との接点を増やしていく。自転車に乗ることは、森岡さんにとって読書とどこか似ている、未来への可能性を集めていくような行為なのかもしれません。
思考の種を拾うように、今日も森岡さんは銀座のどこかで自転車を走らせています。
写真 / 橋原大典
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この記事に登場する自転車
TOKYOBIKE MONO |
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この記事に登場する自転車 TOKYOBIKE MONO 「シンプルで、ちょうど良い」を体現した変速ギアのないモデル。肩肘張らない程よい乗車姿勢と、楽にペダルを回せるこぎ心地が魅力です。 |





















