電動アシストカーゴバイク・TOKYOBIKE PORTERに数量限定カラー「ベニーグリーン」が登場。
街中で働くTOKYOBIKE PORTERをキャッチしました。

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深緑色の働く自転車


「TOKYOBIKE PORTER」を開発するにあたり、どうしてもラインアップに加えたい色があった。幼い頃、街のあちこちに存在していた「働く自転車」のあの色だ。

少し前に還暦を迎えた僕の少年時代の記憶は、昭和40年代初め頃から始まる。生まれ育ったのは東京の高田馬場で、夕方公園で遊んでいると毎日「トーフーー」と豆腐屋さんのラッパの音が聞こえてくる。大きな木箱を荷台に積み、黒に限りなく近い深緑色の自転車がガッチリとしたスタンドで立てられ、その傍らにはアルマイトの鍋を持った近所のおばさんたちが集まる。(子供から見ると大人の女性は皆おばさんだった)蕎麦屋や寿司屋の出前、新聞や牛乳、酒や米の配達。アニメ『サザエさん』の三河屋さんがギコギコキーと音を立てて磯野家に現れるような風景が、日常の中に当たり前にあった。郵便配達の赤やお巡りさんの白など、色は違えど、当時の東京の暮らしを支えていたのは、オシャレさとは無縁の無骨で重い鉄の乗り物だった。

大きな荷台、太いタイヤ、コの字型の頑丈なスタンド、バネ付きの革サドルに金属のロッドブレーキが特徴で、時には100kg以上の荷物を積んで走ることもあったという。そうした「物を運ぶための自転車」は、ブリヂストン、丸石、宮田などの多数の国内メーカーによって製造されていた。その時代の小さな個人商店と近所のお客さんというコミュニティにおいて、「自転車で物を届ける」という行為がとても当たり前であったし、合理的でもあったということだと思う。

そもそも日本の自転車は物流とともに発展してきたとも言える。明治26年、現在のトーキョーバイクの隣町にあたる本所菊川(墨田区)で初の国産自転車が誕生して以来、馬車や大八車と住み分けながら東京の物流を担っていた。やっちゃば(野菜市場)のほど近く、秋葉原や上野に自転車街ができたのもその影響だろう。

自転車は戦後もしばらく物流の主役であったが、やがて1958年発売のホンダ・スーパーカブ、さらにその後は自動車に主役の座を奪われていった。大型スーパーや郊外型ショッピングモール中心の街づくり、モータリゼーションの発展など、街と人の関わり方が変わり、商店街から人がいなくなるのと時を同じくして、物を運ぶ国産自転車は姿を消していった。

しかし近年、行き過ぎた車社会や環境問題が浮き彫りになる中で、自転車の利便性が再び見直されている。大規模開発が進む一方で、「人の顔が見える」魅力的な場所も増えてきた。TOKYOBIKE PORTERには、現代の物流における良き脇役であると同時に、街と人を結ぶツールになってほしいという思いがある。

限定カラー「ベニーグリーン」は、往年の名機「山口ベニー号」から名付けた。あの時代のどこにでもあった日常風景へのオマージュ、そして今よりちょっと人間臭い未来へと繋ぐアイコンとして。